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しずふく文庫(監修 小田部雄次)


静岡福祉大学附属図書館の文化活動
by otabey

ベスト川柳 12

1 タバコ税けむりのようにあがってく  
2 街で見た薄い頭はリュングベリ     
3 八ッ場ダムどう転がっても金かかる  
4 画面にもかえってきたよハヤブサ!!
5 上島さんどじょう効果に便乗す    
6 何でだろう総理の任期1年だ     
7 空の旅焼津の空で神だのみ       
8 親心理解してくれ弟よ  
9 熱帯夜私は彼に冷たい夜       
# by otabey | 2011-10-17 18:02 | しずふく川柳

③ 「矢島楫子と東京婦人矯風会」の感想    

*矢島楫子のとてもつらい人生がわかった。そこから自分の人生を自分で開こうといろいろなことをしてきたので切り替えは大切だとわかった。
*昔は女性のあつかいがひどいことにおどろいた。今では考えられないので、その時代と生きた人たちのことをしっかり学んでいきたい。
*女性のために活動し、80代になってもがんばっていたのが驚いた。大変な過去があったから、そこまでがんばれるのだろうと感じた。
*生まれてからも結婚してからもかわいそうな人生だったけど、そういう人生を歩んできたから、このようなことができたと思うと、すごいことだと思った。
*矢島楫子という人物はとても不運な幼少時代を過ごしていたと分かったので、とてもかわいそうだなと感じました。
*矢島楫子は女に生まれてきてしまったせいで、誕生に喜ばれなかったり、名前をつけてもらえなかったりと、つらい日々を過ごしていたと思った。しかし、東京婦人矯風会を設立し、人々の役に立つ生き方をしていて感動した。
*昔は女性が弱い立場だということは知っていたが、これほどまでひどいとは思っていなかった。矢島楫子は夫が酒乱だったり大変なことがあったけど、東京婦人矯風会を設立できて、助かった人が多いと思った。
*矢島楫子は辛い人生を送ってきたことがわかった。でもその経験をふまえて女性のために守ることをしようとしてすごいと思った。
*今日の講義で矢島楫子さんをはじめて知り、同じ女性として尊敬しました。また1886年にはじめて公娼制度が廃止されたなど、女性の人権は尊重されていなかったんだなと感じました。
*矢島楫子は生まれてきたことも喜ばれず、名前もしばらくなかったということを知り、こんな悲しいことはないと思った。それでも女性問題解決のために、いろんな運動をしてすごく強い人だ。
*女性はすごい差別をうけていて、平等になるまでさまざまな努力があったことを学んだ。
*今の世の中では子どもが生まれるといろんな人から喜ばれて、名前を決めるのも嬉しそうなのに、昔では女が生まれると喜ばれないと聞いて、昔に生まれなくてよかったなと思いました。
*矢島楫子さんは大変な人生だったなと思った。自分が今の時代に生きていて幸せだと思った。こういう素晴らしい方々に感謝したい。
*楫子の家庭環境を知って、親に愛されないからこそ、兄弟姉妹間のきずなが深まったり、自分をもった芯の強い人に育ったりするのかな…と考えさせられる部分があった。大人になって自分で自分の名前を決めるってどんな気持ちだろう…。美しい女性は学校に入ってもやめちゃうって話が興味深かった。武藤先生は現代の矢島楫子ですね(笑)!売買春の問題がなくなる日は来るのかな。
*矢島楫子は望まれた子どもではなかったために名前をつけてもらえなかったという事実はすごくショックだった。名前にはたくさんの思いが込められてつけられるので、可哀想そうだと思った。楫子の行った運動はすばらしいと思ったし、87歳でアメリカに行ったことを知りすごいと思った。売春は今も重大な問題となっていて、これからもずっと抱えていく日本の問題だ。
*矢島楫子の名前を初めて聞いたから、どんな人だろうと思ったら、女性の問題についてよく動く人で、しかも80代で外国に行くなんてとてもすごい人だ。
*生まれてきた環境から女性問題を変えていこうと努力してきた矢島楫子は強い人だ。
*矢島楫子という人物を初めて知ったので、もちろんどういう人物か知らなかったが、東京婦人矯風会の設立をしたり、80代になってもいろんな活動をしていて、すごいなと思った。
*今日の講義では、矢島楫子は六女だったことや、キリスト教が引き続きつながったことなど、わからない点もあったが、やっていくにつれて理解できたし、関心をもてた。歴史や今の現状と一致づけて、勉強をして行きたい。
*矢島楫子という人が、女性も日本社会に貢献する事ができるように、女性も日本の労働者として男性と平等に働くことができるような社会を目指す事からはじまり、幼児虐待、女性の売春の問題など、女性の問題としてみるのではなく、一人の人間としての尊厳を保つ為に、懸命に働きかけていた事がよく理解できた。
*矢島楫子さんが男女差別を問題視したことで、男女の平等というものができたのかな。80代でも行動力がありすごいの一言。
*矢島楫子さんは、女性に生まれてきたばかりに、親にも喜ばれず、愛されなくて、あげくには結婚した相手が酒乱だったという、とても幸せとは程遠い生活をしてきたのに、全ての女性のために、さまざまな運動をし、たくさんの人を救ってとてもすごい方だと思いました。
*矢島楫子の事は少し知っていました。が、何をやった人なのか改めて聞くと、とても興味深くて良い勉強になりました。
*まだまだ現代でも売買春の問題がニュースになることがありますが、廃娼運動を行ってくれたおかげで、今では法律にまでなっています。矢島楫子の名前すら知りませんでしたが、今日の授業でくわしく勉強できて良かったです。
*矢島楫子の生いたちや離婚問題を通じ、当時の女性の立場、位置づけの厳しさというものを改めて知ることができた。男性優位、男尊女卑の社会背景から、当時の女性たちの生きづらさというものにふれ、また自身の経験からも、女性の男性との平等な扱われ方というものについて問題提起し、活動した矢島楫子の取り組みに感銘をうけた。
*自分が女性であることで受けてきた嫌なことをバネに女性のために運動を起こすなんてとてもすごいことだ。日本では売春防止法などの法律ができてもなかなか売買春がなくなることはないし、エイズなどの感染も拡大している。どうしたらなくなっていくのか、もっと国民全体が考えていかなければならない。
*この時代は自分で名前を変えることができたんですね。矢島さんの人生を見ていると女性問題に関心がいったのにも納得しました。しかし、お酒ってやっかいですよね。程度のお酒は精神的にも肉体的にも良いと、どこかで聞いた気がします。しかし、酒を飲むたびにDVをされてしまうのであれば考えものです。ただこの時代の女性たちがお酒によって抑圧されていた感情を爆発させていたら、今の日本はまた違っていたのかもしれません。
*昔の日本で女性の地位がここまで低く、差別を受けていたとは思わなかった。矢島楫子の行動は本当に賞賛されるべきものと思った。
*矢島楫子は男女平等をめざして奮闘した方だとわかりました。男尊女卑の傾向が現在も根強く残っていることが残念です。
*矢島楫子はなかなか聞いたことがなかった。しかし、今回学んでみてさまざまな出来事をのりこえてきた人だということが分かった。
# by otabey | 2011-10-14 17:24 | 日本近代福祉史

② 「石井十次と岡山孤児院」の感想    

*石井十次という人物は前から知っていたが、父親が西郷隆盛と関係があったというのは知らなかった。また石井十次は荻原百々平と出会ってキリスト教に触れていたというのも初めて知りました。
*石井十次は大変な人生ながらも、たくさんの人に影響を受け、感動し、孤児のために努めたのが素晴らしいと思う。
*石井十次は本当は医者になることをあきらめて孤児にことになることにはげんだ。
*石井十次は優しい性格だけの人だと思っていたけれど、お酒が入ってすごい事を言っていたので、気の強い人だとわかった。
*石井十次は孤児のために尽くし、子どもを大切にする人だと思った。医者の道をやめたのはすごい決断だと思った。
*石井十次は医者という夢をあきらめて孤児教育に打ち込むというすばらしい人だと思った。岡山孤児院12則を見て、いろいろ考えさせる内容で感動した。
*石井十次の人生がわかった。石井十次は他国の考えを必要な事をどんどん日本に取り入れていった人だと感じた。時代教育など理にかなっていると思ったし、12則など決め事もしっかりしていて良いと思った。
*石井十次は初めは医者の道を進んでいたのに、途中からその道をやめ、貧しい子供たちのために孤児教育に打ち込んで、すごいと思った。岡山孤児院では、いろいろな主義や教育があることを知った。その中でも密室主義は名前を聞いただけではどんな教育かわからなかったけど、内容をみて、すごく奥が深いと思った。
*石井十次や岡山孤児院の歴史にふれて、児童養護施設の生いたちを知ることができたのでおどろきました。ジョージ・ミュラーさんと出会わなければ、日本に教育法など広まっていないのかと感じました。
*今日の講義では、石井十次がどのようなことをしたのか、岡山孤児院とはどのような所なのかが、理解できた。最初は医師になろうと考えていた彼が、孤児教育に触れることにより、医師の夢をすて、福祉の道へすすんだと学び、福祉の影響力は強いものなのだと思った。
*石井十次という人を初めて知り、何をした人なのか学ぶことができた。孤児に対する気持ちが熱いと思った。人のためい働く仕事がしたいと思った。
*最初は医者になろうとしていた人が、他の人の孤児教育の影響をうけ、孤児院まで設立してしまうなんてすごいと思った。さらにそれがとても有名になっていったからさらに驚いた。
*前回に引き続いて、さまざまな人々の為、福祉教育のあり方について、どうあればよいのかと、真剣に考えていたであろうと思われる印象を強くもちました。石井はめぐまれない人の為にも、教育をしっかりほどこそうと、懸命に活動をしていたのだという事が理解できて良かったです。
*石井十次は知っていたが、教育のこととかを真面目にやっている人とか、まだ知らない言葉がでてきて、説明を聞いて理解できました。これからやっていく人物のことも深く知り、歴史をもっと知りたくなりました。石井十次はすごい人だと知り、興味をもちました。
*言葉だけ覚えようとすると難しいけど、歴史を追って見ていくと覚えやすいということを知りました。石井さんはいろんな人や施設が行っていることを吸収して立派な孤児院をつくっていったことがわかった。
*石井十次の名前は知っていたけれど、これほどの事をしたというの初めて知った。すごいと思った。
*医者を目指していたのに、孤児を助けるために孤児院を設置したことがすごいと思った。いろいろな人やことに影響を受け、たくさんの人の協力があったからこそ孤児院ができたと思います。エリートに育てるという考えではなく、純粋に孤児を助けたいという思いで取り組んだ石井十次は見習うべきだと思いました。
*石井十次さんと岡山孤児院についてよくわかった。知らない言葉が多いが詳しく教えてくれるので、わかりやすかった。石井十次さんの人柄がよくわかった。岡山孤児院はおもしろい主義がいっぱいあって勉強になった。
*とても良いことをした人だと思った。先週もそうだけど、普通の授業ではこういった人たちには全く触れず、そおままだと、きっとこういう人たちのことを一生知らないでいたと思うので、この授業をとって本当に良かったと思った。
*石井十次は元々孤児に興味があって、そっちの道に進んだと思っていたけど、初めは医者になりたかったなんて初めて知っておどろいた。人生なにが変えるかわかららないもんだと思った。
*石井十次の名前は何度か聞いたことがあったけど、人生はほとんど知らないことが多かったので、改めて学ぶことができた。多くの人が彼に影響を与えたり、受けたりしたのかが分かりました。
*福祉を大々的に行うためには、人とのつながり(スポンサー)が大事になるとわかった。
*キリスト教やジョージ・ミュラーやルソーやバーナードホーム…日本の歴史だけどカタカナがいっぱい!!外国のやり方をマネしたりしながら、日本の福祉のあり方が確立されてきたのがよくわかる。岡山孤児院の12則はとても興味深い。石井十次の恵まれた?交友関係があったからこそできた活動もたくさんあり、やはり大きなことをするには1人ではなく協力してくれる仲間が必要なのだと改めて感じた。
*石井十次という人は岡山孤児院を設置したというのを他の教科書で学んだだけで、その人が何をしてきたかとかは全く知らなかったが、今日学んでみて宮崎出身だったり、捕縛になったり、五指社を設置するなど、知らないところで、いろんな活動をしているということを初めて知った。
*今まで石井十次は学んでいたが、なかなか結びついていなかった。その人の生き方を学ぶうちに重要であることがらが分かってきた。なかなか歴史については分からないことが多く、困っていた。この授業を通して理解を深めていきたい。
*孤児院を設立するに至るまでの石井十次の苦難の経験、教育への目覚めなど、孤児への支援を行うようになった背景を学ぶことができた。また、当時の活動家同士の関わりというものにも触れることができた。
*石井十次についてあまり知らなかったので、今日の授業で詳しく知る事が出来ました。また孤児の救済をした石井十次がとても素晴らしい人だと思いました。
*福祉事業とキリスト教はこんなに関係が深いとは思わなかった。慈善事業の精神はキリスト教の教えに沿うものからなのかもしれないと思った。
*岩永マキさんと同じように、石井十次さんもキリスト教だということがわかりました。私は仏教なので、キリスト教のことはよくわからないのですが、そんなに影響力があるものなのでしょうか?また仏教をやっている身としては、仏教から福祉へというのをあまり聞かないので少し残念です。まだ出ていないだけかもしれませんが、この時代の福祉の対象は子どもが多いんですね。どうして老人に目が行かなかったのか少し不思議です。
*石井十次という名前は、少し聞いたことがあったが、このように人のために何かできることは素晴らしいことだと思いました。
*石井十次も頭に血が上ったり、大原孫三郎は石井と出会うまでは遊んでばかりのボンボンだったり、今回は人物の人間味を感じることができました。キリスト教では友人、隣人を助ける心を説いているので、それが福祉事業につながっているのだろう。
*石井十次がいかに献身的であったのか計り知れない。孤児院によって救われた子供はとても多かったと思う。
*保育士や社会福祉士の試験によく名前が出てくる石井十次だが、これほどいろいろな活動をしているということを初めて知ることができた。12則もとても考えて作られていると感じた。
*石井十次のなしてきたこと、出生を知ることができた。岡山孤児院の密室教育重視にびっくりした。
*石井十次と誕生日が同じで、自分も福祉の学校に通い勉強しているので親近感がわいた。
# by otabey | 2011-10-07 17:22 | 日本近代福祉史

① 「岩永マキと浦上養育院」の感想  

*国試対策の中で「岩永マキ」―「浦上養育院」というキーワードが出てきているので名前と功績については知ってはいたが、今回のように歴史的流れや事業を始めるに至る流れを含め考えることで、より一層理解が深まった。より結びつけて理解できました。
*国や地域はもちろん、老若男女問わず助け合うことは大切だと思いました。フランスから来たド・ロ神父や岩永マキのように自分の籍に入れて子どもを育てたりと、他人を助けようとするのは大変なことですが、みんなが幸せに暮らすには必要なことだ。
*1回の授業でたくさん知ることができました。江戸時代のキリシタンはとても大変だったことがあらためてわかり、私は岩永マキのことを知らなかったので、岩永マキの人生が知れてよかったです。このころから福祉は始まっているので、すごいなあと思いました。
*歴史ってずっと前のことを遡るから、わからないことだらけだけど、興味をもてば、どんどん頭に入ってくることでもあるんだと思いました。深いです。分野によって見方によって180°変わるからおもしろいです。
*岩永マキのことが知らなくて、どういう人かと思ったが、やっていくにつれて江戸に生まれた人だと知り、次の人もどういったことをやった人なのか楽しみです。具体的に説明してくれるので助かります。
*岩永マキという人、長崎のキリスト信仰によりこの頃の人々がどのような苦難にあえいでいたのかという事がよくわかりました。明治新政府となっても、キリスト弾圧が激しかった事までは知らなかったので、良い勉強になりました。
*江戸時代の鎖国のとき、キリスト教は拒否されていたが、隠れキリシタンいたことや、浦上信徒たちが厳しい扱いをうけていることがわかった。
*岩永マキやド・ロ神父についてはなんにも知らなかった。だけど今日の講義を受けて、浦上養育院があったこと、ド・ロ神父が苦難を救おうとしてくれたということがわかった。
*ド・ロ神父は長崎を救おうとしたり、出版、授産事業や託児所設置を行うだけでなく、岩永マキらが働いて子どもを育てることができるように田畑を与え、とても優しい人だ。
*岩永マキやド・ロ神父などは伝染病で苦しむ長崎の人達のためにがんばり、浦上養育院ができ、それは後の人達にも広く評価された。
*岩永マキさんはとても大変な人生を歩んでいたんだなと感じた。ド・ロ神父も長崎の苦難を救おうとしたすごい人なんだってわかった。
*岩永マキは隠れキリシタンのために明治新政府に弾圧を受けて未開地の無人島に流され、開墾作業をさせられたが、信仰が許可されて戻った時には伝染病が流行していたために、孤児となった子どもたちを自分の籍に入れて育てた。
*岩永マキなど聞いたことない人達がたくさん出てきたが、岩永は浦上養育院を設立したり、ド・ロ神父の仕事を手伝ったりなど、いろんな仕事をしていることがよくわかった。
*岩永マキという人を初めて知る事ができたし、歴史の事をまた少し知る事が出来た。
*今日の主人公は岩永マキだが、ド・ロ神父の存在というか、日本で初かもしれない託児所を設置したのが、フランス人ということがビックリだった。伝染病が広まった当時の子ども達を救済していたのはキリスト教などの外国の文化を受け入れられる心の広い人達なのだろうと思った。
*さまざまな困難を乗りこえた人ほど他人の大変さが分かり、助けようとする気持ちが強い。
*人物の歴史を覚えるのは大変ですが、話がとても興味深かったです。また先生の説明もわかりやすく聞きやすくて良かったと思います。
*とても厳しい時代を乗り越えてきた人なんだなと思った。キリスト教の人はひどいことをされても人を助けようとする人が多いと思います。
*岩永マキさんとド・ロ神父のことについてよくわかった。岩永マキさんはとても大変な時代に生きていたんだなと思った。自分な大変なのに養育施設を作ってすごいと思った。ド・ロ神父はいい人だということがわかった。人の事ばかり考えていて、素晴らしいなと思った。このような立派な人を知らずにいたなんてはずかしい気がした。もっと勉強したい。
*福祉の勉強で名前は知っていたけどこんな歴史があるとは思わなかった。歴史は奥が深い。
*私はキリスト教だけど、今の時代のキリスト教でよかったなと思いました。江戸時代に生まれてきたらきっと隠れキリシタンにもならず、キリスト教になるのをあきらめていたと思います。この時代があったからこそ、今のキリスト教が日本にあることを忘れないでいきたいです。そして岩永マキさんのようにはなれないけれど、これから頑張って生活していきたいと思います。
*岩永マキはキリスト教の弾圧により自分の親や兄弟も亡くしたが、教えを守り、他が為に働き、自分の周りの人を助けていた。私も子どもが生涯を持っているので将来は作業所等の施設を作りたいと思っているので共感できた。
*知らない名前ばかりでしたが、プリントにくわしく書いてあったので、この人がこういうことをしたなど理解することができました。
*岩永マキの人生、児童養護施設の発展、天然痘という伝染病をはじめて知った。
*岩永マキさんは多くの困難をのりこえて地位を確立していったのだなと思いました。昔の人達がいろいろのりこえてきて今があるんだなと感じました。
*岩永マキさんは心の強い人だったのかなと感じました。結構酷な人生を歩んでいる気がするのに、悪人にはならず福祉に行ったのは、キリスト教徒だったからなのか、もともとの性格によるものなのか…少し気になりました。
*一人の人物歴を追うことで、岩永マキがどうやって浦上養育院をつくるに至ったのかがよくわかりました。
*岩永マキさんについて少しですが学べた気がする。
*自分でやろうと思わず誰かの影響でやろうとする人がいたことがわかった。
*「福祉とは何だ」ということを改めて考えることができました。今まであいまいだったことが整理された気がする。
*近代福祉事業がフランス人によってもたらされたと知り少し驚いた。明治政府が最初はキリスト教を弾圧していたのも意外だったし、女性が早々に活躍できていたことも驚いた。
*岩永マキ、ド・ロ神父がどういう人なのか知らなかったし、キリスト教についての歴史や、福祉の歴史は知らなかったので、とても勉強になりました。別の場所へ連行されてもあきらめない岩永さんはすばらしいと思いました。
*キリスト教について詳しくなかったので、少し理解を深めることができました。岩永マキさんの人生を知り、今の生活では考えられないようなことが多くおどろきました。
*岩永マキについて、この人がどのようなことをして福祉に関わってきたのか、又、どのような活動をしたのかなどを学ぶことが出来ました。
*近代福祉史を学ぶことで、今までの福祉のあり方とこれからの福祉が進むべき道が分かればいいと思いました。
*岩永マキの生い立ちや福祉に目覚めた理由がわかった。どのような福祉事業をしたかも知りたかった。
*岩永マキはとても辛い人生を歩んだと思いました。ド・ロ神父の行動には感銘を受けました。浦上養育院について自分なりに予習しようと思います。
*岩永マキの生まれや家族や同じ村の人達のことや、してきたこと、ド・ロ神父のしてきたこと、浦上養育院のできたことや役割について。
# by otabey | 2011-09-30 17:13 | 日本近代福祉史

隣の家の猫

作・みたねひこうき  絵・きすこね

「こんちっす」
「また来たらァ」
「洪さん、お元気ですか?」
しずふく三人組は、学校の帰りに玉造洪さんの家に寄るのが日課になった。チャは自転車だが、ミカンはゲンの車で来る。それがチャには少しさびしいのだが。
「今日は西瓜があるよ」
洪さんは、三人組が来るのを楽しみしている。三人は洪さんがいつも何か用意してくれているのを期待している。
「今日は、父ちゃんが釣った鮎、持ってきたっす」
「桔梗が咲いていたので、持ってきたらァ」
「東京の伯母がお菓子を送ってきたので…」
三人も何かしら持って行く。
「あれあれ、こんなに食べ切れんの」
「ご近所にあげればいいっす」
「そうらァ」
三人は西瓜を食べながら、学校であったことなどをあれこれと話す。
洪さんは、「そうかえ。そうかえ」とうれしそうに聞いた。
「るるとぶちゅがいないっす」
「二階で寝てるの。まだ暑いけんの…」
「るるもぶちゅも人なつこいらァ」
「外には出さないのですか?」
「近所に迷惑かけるけんの。花におしっこしたりして…それに病気にも…」
「猫に病気があるっすか?」
「猫エイズらァ」
「野良の猫にはエイズがあったりしてのう、喧嘩して噛まれるとうつるらしいの」
「家猫っすね」
「猫が外に出られないのは、さびしいらァ」
「仕方ないのう…少しせちがらいけどのう…」
「病気になっちゃかわいそうっす」
「お花におしっこするのは知らなかったらァ」
「それでペットボトルおいている家があるんだ」
「そうっす。あれキラキラして猫が嫌がるっす」
「猫といえばのう。昔息子が悔やんどったことがあってのう」
「タケヒロさんっすか」
長男のタケヒロさんがまだ中学生のころ、洪さんは一軒家を借りて一緒に住んでいた。同じ造りの平屋の家が二つ並んでいて、間取りは貸家によくある六畳と四畳半と台所とトイレ、風呂だった。家の南側はぬれ縁になっていて、その前は砂利の庭で隣の家の北側に面していた。
「そんころ、隣の家に猫がおってのう。よくタケヒロになついての。縁側でタケヒロの膝にのってゴロゴロいってたの」
「タケヒロさんも猫好きだったんらァ」
「隣の家は共稼ぎの若い夫婦でのう。日曜も昼間はあまりおらんかった。そんで、猫もタケヒロのところで遊ぶようになったんじゃのう」
隣の家の猫_a0222798_180012.jpg
「なんという名前でした?」
「確かチャとかいったの」
「同じらァ」
「かわいかったすか?」
「…」
「チャは茶色のオスじゃったのう。まだ二歳ぐらいだったかの」
「その猫のチャはどうしたっすか?」
「うん、タケヒロが悔やんでおったのう…」
「何があったらァ」
「人間、魔がさすということはあるんの…」
「…」三人は洪の次の言葉を待った。
「…その日もタケヒロの膝でゴロゴロしておった…するとのう、遠くからどっかの犬が二匹ほえながら走ってきたんの」
「放し飼いっすか」
「あのころはのう…たぶん、一匹は野良だろ。縄張りに入ったんで、どっかの犬が追っかけたんじゃ…」
「で、どうなったす」
「タケヒロは何を思ったのかの、チャを放しての…」
「…」
「タケヒロも何でそうしたのかわからんかったと…」
「どうなったす?」
「チャは走ってきた二匹の犬の前に放り出されたもんで、びっくりしての」
「それは驚くらァ」
「…」
「一目散に家の西端にあった木にかけのぼって…」
「無事だったすね」
「よかったらァ」
「…」
「タケヒロも、びっくりしてのう…」
「でも何もなくてよかったす」
「そうでもないの。その後、タケヒロは木に登ったチャを呼びにいったが、チャはタケヒロを避けるように家に帰ってしまって…」
「そんな…」
「そんときのチャの目がとがめるようなかなしいような色じゃったと…」
「わかるっす」
「つらいらァ」
「…」
「それっきりチャはタケヒロにも家にも近寄らなくなってのう。タケヒロが呼んでも逃げるようになって…」
「タケヒロさんもつらいっす」
「タケヒロはいうたのう。自分の不注意でも、チャは信頼を裏切られたと思ったんじゃろと。相手が話してわかる人間なら、言い訳も詫びもできるが…と」
「猫じゃ言葉が通じないっす」
「どうしようもないらァ」
「…」
「タケヒロはしばらく泣いてばかりおった。ある日、こう言うた。知らずに傷つけることがある…一度失った信用は戻らん、新しく信用つくるより難しい、との…」
「…」
洪の言葉は、洪と一緒に暮らせなくなった雄大とのことも言っているようにとれて、三人は黙ってしまった。
ミカンはゲンの車で八合目駅まで送ってもらって、電車で帰った。自転車のチャはゲンの車が走り去るのを見ながら一人で帰った。栃山地蔵と地蔵を囲む四本の大木が夕日でシルエットになっていた。
(完)
# by otabey | 2011-09-26 17:42 | しずふく短編